『たこ焼きキャンプ 家族で夏休み』
□日程 2022年8月4日(木)~7日(日)
□開催場所 兵庫県姫路市仁豊野 『カトリック淳心の家』
写真→ たこ焼きキャンプ・ブログ 2017年の様子から https://takocamp.exblog.jp/23402431/
※今回はプログラムが異なりますので、参考としてご覧ください。
□参加できる方
福島県および周辺地域にお住まいで、原発事故の影響で子どもの健康や成長に不安を感じている乳幼児・小学生・中学生のお子さんのいるご家族。
(親子での参加をお願いします。高校生以上のきょうだいの同行も可。)
□定員 4家族(1家族につき5人まで)
□参加費
・宿泊費は無料。
・交通費は原則として、1人につき中学生~大人は3万円、小学生は1万5千円を補助します。
・食費は一部を除き、自己負担でお願いします。
・旅行保険を実費徴収いたします。
□申し込み受付日時
メールで受け付けます。(先着順)
【リピーター受付】6月12日朝9時~6月19日夜12時
【一般受付】6月15日夜9時~6月28日夜12時
※申込受付はこの日時のみです。その前後にメール送信されても受付はできませんのでご注意ください。
申込先アドレス takocamp@gmail.com
□申込方法
メール1通につき、1家族のみ受け付けます。
メールのタイトルを「たこ焼きキャンプ参加希望」とし、以下の要件を書いてご送信ください。
① 代表者氏名
② 参加希望人数
③ 参加希望者ひとりずつの氏名・年齢(子どもは学齢も)・性別
④ 代表者の〒と住所
⑤ 代表者の携帯電話番号
⑥ 申込にあたり、伝えておきたいことがあればご自由に
※申込メールの先着順にメールや電話でやりとりをさせていただいた上、参加を確定させます。
定員に達した後のお申込みについては、いったん保留としてご連絡し、後日、参加の可否をお知らせします。
□実施スケジュール
◆8月4日(木)
午後、JR姫路駅でスタッフが出迎え(姫路までの交通は各自で手配ください)。
駅からは車で送迎または路線バスでスタッフが宿舎に同行します。夕食はこちらで用意します。
◆5日(金)
終日自由時間。宿舎内のプールや緑に囲まれた芝生広場などで親子でゆっくりすごすことができます。
近隣への観光も可能です。自由参加のプログラムも適宜こちらで用意する予定です。
◆6日(土)
昼過ぎまで自由時間。午後から地元のボランティアのみなさんとの交流会に参加していただきます。
◆7日(日)
昼前に現地解散とします。姫路駅にはスタッフが車で、または路線バスに同乗してお送りします。
□感染対策について
・宿泊は家族単位の個室になります。(トイレ、風呂、食堂は共有)
・一般的な感染対策を実施し、スタッフ等との交流はできるだけ屋外や換気のよい場所でおこないます。
・滞在中体調不良の際は近隣の医療機関を受診、万一感染が確認された場合は宿舎内で別室に隔離、追加で2日間滞在が可能です。
スタッフができる限りお手伝いしますが、各家庭の責任で対応していただくようお願いします。
□その他
・滞在中、子どもたちが楽しく過ごせるよう、遊び相手等をするボランティアを配置しますが、お子さんの安全管理については親御さんの責任でお願いします。
・当団体「たこ焼きキャンプ」の保養企画に初めて参加される場合、事前に保護者の方と面談させていただきたいと思います。7月後半に福島県にスタッフが伺う予定です。
・蔓延防止措置等が発令された場合等、やむをえず開催を中止する場合もあります。ご了承ください。
□主催団体
福島の子どもを招きたい!明石プロジェクト(たこ焼きキャンプ)
ホームページ http://takocamp.sakura.ne.jp/index.html
ブログ 明石であそぼう! たこ焼きキャンプ (exblog.jp)
電話 090-9871-1419(代表 小野洋)
☆2011年から2019年までの夏休みに、子どもたちの保養・自然体験・協働活動を目的とした約2週間の「たこ焼きキャンプ」を実施してきました。
たこ焼きキャンプのスタッフ2名が、古滝屋当主・里見喜生さんのスタディツアーに参加しました。
まず訪れたのは、古滝屋の館内に2021年3月にオープンした「原子力災害考証館 furusato」です。
https://m.facebook.com/furusatondm/

「津波や地震だけでなく、歴史や文化を奪った原子力災害がなぜ起きてしまったかを考える場所が必要」(『福島民友』紹介記事より)
という里見さんの思いから作られた、この「原子力災害考証館 furusato」。
里見さんは水俣を訪れた際、民間施設が公的施設とは異なる視点で資料を展示し、公的施設からこぼれ落ちている部分を補完することの重要性を学んだといいます。
かつて宴会場だった広間を使った、考証館の内部。
こぢんまりとした空間ではありますが、たくさんの貴重な資料、そして深い思いがぎっしりと詰まっていました。

「私は場を作るだけ。展示はそれぞれの人が自分でやっています」
という里見さんの言葉が印象的でした。
中央で目を射るのは、木村紀夫さんの展示「5年9か月」です。
大熊町で暮らしていた木村さんは、父と妻、そして次女の汐凪(ゆうな)ちゃんを津波でうしないました。
その汐凪ちゃんの遺骨の一部が、震災から5年9か月たって初めて見つかったことを説明する里見さん。
手に持っているのは、捜索によって見つかった、汐凪ちゃんの小さなマフラーです。

父である木村さんの意向によって、ここには発見された汐凪ちゃんの服やランドセル、捜索中のチラシも展示されています。
確かに生きて、突然断たれた命。
知ってほしい、感じてほしいという叫びが聞こえてくるようです。


木村さんの書かれた文章から、家も家族も流されながら、原発事故のために捜索に入れなかった。もしかしたら娘は生きていたのかもしれない、取り残されたことで命を落としたのかもしれない、と感じておられることを知りました。
自然災害に原子力災害がかさなったとき何が起きるか、その理不尽さが胸に突き刺さりました。
しかも、その後ご自宅のあった場所は、中間貯蔵施設の敷地内となりました。
大切なふるさと、大切な家族の遺骨や遺品がまだ残っているだろう場所が、放射性廃棄物の集積場になってしまうのです。
こちらは、浪江町をふるさととする歌人・三原由起子さんの作品と、写真家の中筋純さんによる、浪江町の商店街の変遷をとらえた写真です。
かつてにぎわった浪江の町が朽ちていき、お店や学校が次々と解体されていく様子がまざまざと見えてきます。
それを見つめる歌人の心のふるえと憤りが、伝わってきます。

「原子力災害考証館」には、関連の書籍が取りそろえてあり、資料アーカイブも充実しています。
民間でこつこつと積み上げられてきた活動の軌跡を、ゆっくりと見ることができる貴重な場所だと感じました。

原発事故で被災した人々による多くの訴訟についても、展示でくわしく説明がされています。

原発事故以来、実に多くの民間の人たちが、さまざまに動いてきた11年。
その多様な活動の内容を記録していくことも、「考証」の大事なひとつです。
わたしたちのやってきた保養の活動も、ここでは大切なあゆみとして扱われていくことでしょう。

今回は時間の限られた中での訪問でしたが、これから何度も訪れたいと強く感じました。
「原子力災害考証館」は、じっくりと学び、深く感じるための、大切な港のような場所でした。
考証館の次に訪れたのは、「いわき放射能市民測定室たらちね」です。
https://tarachineiwaki.org/
スタッフの飯田亜由美さんに、案内と説明をしていただきました。
こちらは、いわき市内の公園から採取した土です。放射線量の測定をおこなっています。
同じ公園内でも場所によって線量がかなり異なることを、データを示す画面上で見ることができます。

セシウム測定器。
市民の持ち込むものはすべて、ここでは無料で測定をしているそうです。

天然のきのこ、山菜は今でもセシウム線量は5、60から100と高いとのこと。
しかし原発事故から10年以上がたち、一般には食べものの線量を気にしない人が増えているため、子どもを預けた際にリスクの高いものを食べてしまわないかと気になるなど、いろいろと難しいとのお話を聞きました。
ストロンチウムとトリチウムの測定器は高額なので、一般には大学などにしか設置されていないそうです。
ふつうは測定してもらうのに、ひとつの試料につき20~30万円の料金がかかるが、ここでは前述のように無料で測定ができる。地域の方が海産物などを気軽に測れるように設置しています、とのことでした。

現在は、海産物を測定しても、事故前とくらべて際立って高い数値は出ていないとのこと。
来年予定されている放射能処理汚染水の海洋放出に向けて、今は放出前のデータを、回数を増やして測定しているそうです。
海流がぶつかるいわき沖は、肉眼でもわかる潮目があり、放出される処理汚染水が留まらずに流れていくかは案じられる、そして流れていくとしたら千葉沖までいくシュミレーションなので、これは福島県だけの問題ではないのです、と飯田さんはおっしゃっていました。
そして、この処理汚染水の放出問題は、子どもの教育にもどうなのか。流さないという大人同士の約束があったにもかかわらず流してしまう。そして、いったん放出されればそれはずっと続く。補償する範囲もはっきり定められていない。お金の問題ではなく、子どもたちにどう説明するのだろうと。
いわきに生まれ育つ子どもたちが、目の前の海に入らず、釣った魚は線量を測り…と、いわきの自然を味わえない中で、いわきの美しさをどう伝えていくのかと思う、という飯田さんの言葉が切実に響きました。
こちらはクラウドファンディングで購入したという、トリチウム濃縮装置。
トリチウムは濃縮できないといわれているが、小規模ならできる。現在は精密に測れるようになったため、原発事故由来のトリチウムか、環境中にあるトリチウムかの識別ができるようになったとのことです。

「汚染は測ることで知ることしかできないので、ひとつひとつ測っていくしかない。でも、測ることで初めてきちんと汚染の実態を知ることができる」という飯田さん。
ここが放射能の問題と向き合おうとする人たちにとって、いかに貴重な場であるかを感じました。
併設の「たらちねクリニック」では、甲状腺検査や子ども検診をおこなっています。
福島県の実施している検査は、原発事故当時に高校生までだった人は無料で受けることができるそうです。しかし、大人はまったく対象外であるだけでなく、事故後にこちらに転居してきた子どもも検査の対象にならないし、高校をすでに卒業していた未成年も対象からもれているという問題があるといいます。

たらちねは、沖縄で長く続く保養の活動もおこなっています。
たこ焼きキャンプのリーフレットを見ていただきながら、保養のニーズの現状についてのアドバイスや情報も、いろいろとお聞きすることができました。
「『まだやってるの?』と言われるかもしれない保養ですが、原発事故は過去に起きただけのものではなく、ずっと続いているもの。その中で成長している子どもたちは、たとえ事故後に生まれていてもリスクはあるといえる。保養は原発事故前の安全な状態に戻るまで、ずっと必要だと思っています」
と飯田さんはおっしゃっていました。
ていねいに対応してくださり、さまざまな説明と貴重なお話を聞かせてくださった飯田さん、たらちねのスタッフのみなさん、ほんとうにありがとうございました。
最後に訪れたのは、双葉町に2021年秋に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。
https://www.fipo.or.jp/lore/
双葉町に近づくと、解体された家屋の建材などの広大な集積場がまず目に映ります。
そしてぽつりぽつりと建つ住居や集合住宅、それ以外はひたすらに更地となった町が広がっていました。
里見さんのお話では、今も住民はわずかしか帰還しておらず、一部の田んぼでの稲作は再開されているもののの、試験栽培もまだおこなわれていないとのこと。
「伝承館」近くの広大な土地は、これから工業団地として整備されるそうです。

施設の外からも中からも、遠く海の方向が見渡せます。
海からは、約1キロ。今は、震災後作られた、巨大な防潮堤の向こうの海です。
あのとき津波で破壊された消防車が、屋外に展示されていました。

館内は日当たりがよく、とても広々としています。

震災と原発事故の発生から現在までを、実際の映像やアニメーションなど、工夫をこらしたさまざまな方法で展示しています。
(館内の展示を個人が撮った写真は公開できないため、公式リーフレットを撮影したものを載せています)



地震と津波、そして原発事故という複合的な災害の状況が、時系列でわかりやすく展示されていると感じました。
原発事故直後の緊迫したやりとりの貴重な資料なども、多数見ることができます。
また、実際に被災を経験した方たちの「館内語り部講話」もおこなわれていました。
後半の展示は、復興に大きく焦点が合わされており、福島イノベーション・コースト構想に沿った明るい内容となっています。
原発事故についての展示文には、
「安全神話の崩壊~対策を怠った人災」
のタイトルがありました。
東京電力と国会の事故調報告書を引いて、予見され、認識されていた津波による事故の危険性を顧みなかった東電と保安院にとってこの事故は決して「想定外」とはいえず、その責任を免れることはできない、この事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である、と書かれています。
展示を見終えて残ったのは、多様な記録を集積した貴重な施設であるという感想とともに、「あきらかに『人災』」であった、と展示の中で明記された原発事故が起きた経緯や背景、なぜ防げなかったのか、このようなことを繰り返さないためには今後どうしたらいいのか、という《検証》の部分はすっぽりと抜け落ちている、という印象でした。
そして、この事故によって社会がどう動いたのか、変化したのか、ということへの視点も見えてこないと感じました。
単に激励や支援にとどまらず、全国で、また海外でも民間の多くの人たちが事故後に動き、うねりが起きました。また被災した人たち自身も、たゆまず声をあげ続けてきました。
里見さんが、ご自身の作った「原子力災害考証館」のことを、公からこぼれ落ちたものをすくい、残していくためと話されていたことが、深く腑に落ちた気がしました。
この「伝承館」にも大規模な形で多くの資料があり、今後の歴史につながる大切な場であると思います。
公と民間が互いに補完し合い、協力し合っていく関係がつくられていくことを心から願いました。

すぐ近くにある、震災遺構として公開された浪江町立請戸小学校
https://www.asahi.com/articles/ASQ3D6TWPQ3CUGTB00H.html
の校舎もぜひ訪れたかったのですが、今回は残念ながら時間切れとなりました。
あらためての訪問を誓いながら、いわき~双葉町へのスタディツアーは終了しました。
長時間ご案内いただき、たくさんのお話を聞かせてくださった里見喜生さん、ほんとうにありがとうございました。
そして4月に入り、今度はスタッフが関西から会いに行くスタイルの、新たな交流会企画が実現しました。
交流会前半は、山形県の米沢。
福島市からは車で30~40分という近さです。
会場は、「青空保育たけの子」の施設をお借りしました。
スタッフが到着してびっくりしたのは、4月というのにこの残雪!

雪山の遠景が美しいです。

ひろびろとした裏庭にはモグラの堀りあと、そして手作りの遊具。

スタッフが宿泊した施設内の民泊「あおぞら館」は、昔なつかしい、おばあちゃんのおうちのよう。

ここでの青空保育の様子も垣間見えます。

そして関西人には衝撃の、石油ファンヒーターからホースでこたつに熱気を運ぶ装置。
これはすごい! めちゃくちゃあったかくて、エコ!
(山形だけでなく、福島でもスタンダードだそうです)

さて、交流会当日の4月3日。
たこ焼きキャンプに震災当時の2011年から、何年にもわたって参加してくれていた子たちとそのお母さんたちが来てくれました。
マスターと感激の再会。
「おひさしぶり~」
「うわー、大きくなったな~!」


関西から担いできた、《たき火コンロ》で早速火をおこすマスター。
たき火好きは、たこキャン歴史上、不変のようです。

もう大学生。
ほんとうに、おとなになったね。
それぞれの好きなこと、目指すことにまっすぐ向かっている様子が伝わってきて、うれしくなりました。

でも雪を見ると、童心がさわぐみたいで…
ソリすべりを何度もしていたのが可愛かった!

ぽつぽつ話していくと、たこキャンの記憶はずっと幼いころのことだけど、それぞれにあざやかに心に残っているようでした。
なにより、「こんな交流会あるけど…」と声をかけたら、即答で「行く」と言ってくれた、というお母さんたちの話を聞いて、しみじみとうれしく思いました。
みんなで火を囲んで、おしゃべりして。

さえこさんが、「りのちゃんが好きだったから」とちゃんと覚えていて、バターコーンを作ってふるまいました。

おだやかな晴天にめぐまれて、心から楽しい時間でした。

来てくれて、ほんとうにありがとう!
名残り惜しく、「またきっと会おうね」と言いかわして。

お気をつけて!
お互い元気で!

さて、スタッフは一路、いわきを目指して移動。
いわき湯本温泉「古滝屋」さんに到着すると、さっそくロビーにうれしい驚きが!
ほようかんさいの本『こんど、いつ会える? ―原発事故後の子どもたちと、関西の保養の10年』が、平積みで一番上で販売されていたのです。
古滝屋さん、ありがとうございます!

こちらには、いわき在住のたこキャンファミリーが2組参加。
すっかりおとなっぽくなった様子に、スタッフは感激です。

近況を語り合ったり、たこキャンでの思い出話をしたり…。
にぎやかで楽しい時間を過ごしました。


最後は、おひなさまのように並んで記念撮影。
(後ろに展示されている本当のおひなさまは、震災後解体したお宅から大切に譲り受けたものだそうです。)

コロナ下でもなんとか会いたい! たこキャンのつながりを続けたい! という思いで開催した、米沢&いわき交流会。
初めてのこころみでしたが、おかげさまで心がほかほかと温かくなる一日をともに過ごすことができました。
参加してくださった親子のみなさん、ほんとうにありがとうございました!
場所を提供してくださった、青空保育たけの子さん、古滝屋さんにも、感謝申し上げます。
そして今回、希望があっても都合で参加できなかった親子も、複数ありました。
ぜひまたスタッフが足を運んで、再会をはたせればと思っています。
次回は、この翌日スタッフが参加した、古滝屋の里見喜生さんによるスタディツアーの様子をお伝えします。
少しでもできることをやっていこう、という思いで、福島からたこキャンファミリーにこちらに来てもらい、この3月に神戸でたこキャンスタッフやボランティアさんなどとの交流会開催を予定していました。
しかし、「まん延防止等重点措置」期間が延長になったことから、やむなく交流会は中止に。
ほんとうに残念でしたが、交流会に来てくれる予定だったご家族1組がこのたび、神戸と明石を訪れてくれました。

スタッフ2名が合流して、明石公園での再会!
2014年のたこキャンから何年も続けて参加してくれた男の子と、そのご家族。
すっかり落ち着いた青年になっていて、時の流れを感じました。
変わらぬ素敵なご家族の関係と、たこキャンと重ねてきたつながりにも、胸がほっとあたたかくなりました。
当時のキャンプの写真を見ながら、いろいろな思い出や近況も語りあい、とてもいい時間を過ごすことができました。明石のプチ観光や、明石焼きもつまんでいただきました!
ちょうど東北で大きな地震があり、11年前を思い出させるような体験を福島でされたばかりでしたが、不自由な中、よく関西まで来てくださいました。
大勢集まっての交流会ができなかったことは残念でしたが、いずれまた機会を待ちたいと思います。
ささやかな形でもひさびさの再会ができたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、たこ焼きキャンプとしては、4月に入ってすぐに山形県の米沢と福島県いわきの二か所にて交流会を予定しています。
今度は、スタッフが関西から出かけていき、福島のたこキャンファミリーと再会することになっています。
後日の報告を、どうぞお楽しみに!