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明石であそぼう! たこ焼きキャンプ takocamp.exblog.jp

 「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」が主催する「たこ焼きキャンプ」のブログ


by takocamp

たこキャンスタッフ・石井さえ子さんインタビュー(前編)

たこ焼きキャンプで食事づくりを担う、石井さえ子さん。

2011年の初回キャンプはボランティアとして参加し、2012年からは子ども担当スタッフとして活動。そのかたわら期間中の調理にもかかわり、2022年のリスタートからはキャンプ期間のすべての食事を担当しています。

今夏のたこキャンの様子をブログで見た方から、「食事がすごくおいしそう、食べてみたい!」「作っているのはどんな人?」という声を、たくさんいただきました。

そこで、今回はその石井さえ子さんにインタビュー!

たっぷり前後編でお届けします。

                             【インタビュー・編集 一海真紀】



―自己紹介をかねて、ふだんのお仕事について教えてください。

基本には衣食住に関わることをしたいというのがあって、心地よく生きていくために仕事を選んでいる感じです。

今は店舗は持っていませんが、暮らしを考えることが料理の目線でどう楽しくなるか、ということにポイントを当てて、料理の仕事をしています。


―たこ焼きキャンプとのなれそめは?

東日本大震災が起こって、衝撃が走って…。当時は大学を卒業して3年目で、今とは違う仕事をしていました。

もともと私は子どものころから、将来の夢とか何を仕事にしたいかと聞かれても、それよりも「こんな大人になりたい」という「大人像」…どっしりした、かっこいい大人、自分の正義をブレさせない、スーパーヒーローみたいなイメージがあって、じゃあそういう大人になるためには何の仕事をする?という選択の仕方を考えてたんですよ。


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2013年のたこ焼きキャンプ、明石公園のあさぎり寮にて。



―おもしろい。あまりそういう人っていない気がします。

そうですね。学生時代に就活が始まったときも、私は切り替えに弱いのか、気がついたらみんなさっさと就活に行ってるみたいな(笑)。そのときにすごく違和感を感じて。そんな感覚で自分が就活に入っていくのがちょっと嫌やったんです。学校の先生になりたくて教員免許は取ってたんですけど、学ぶ過程でほんまにこれがしたいんかな?とも思ってしまって。


 ―高校の、家庭科の先生ですよね。

そうです。ただ、そのあと教育実習に行ってみて、「あ、やりたいことはここやな」と思って。でもそこでそのまま教員採用試験を受けるというところには行かなくて、実習は本気でやるけどその年の採用試験は受けないと決めて、教育実習の短期間でどれだけ子どもらと関われるか、自分ができるマックスをやろうと思って、勉強もしてコミュニケーションも取って、寝ないくらいでやってました。

そのとき、人と関わる仕事ってそういうことなんちゃうかなってすごく思って。自分のできるだけのことを私はしたい。それは自分が創意工夫して努力していたらできると、すごいやり切った感で実習を終えました。


 ―そのあとの大学卒業後、次の教員試験を受けるまでの一年はどう過ごしてたんですか?

母校の高校で、非常勤講師で家庭科を教えることになったんです。非常勤でけっこう時間があるので、これまでやってなかったことを何かしたいな、《衣食住》というのは自分の中にずっとあったので、それに関わることで何か探そうと思ってたときに、スカウトにあったんですよ。


 ―おお、そのタイミングで。

そうなんです。ただ私はこれまで学校決めるときも勘というか、「ここ来年も(自分が)おるな」ってピンとくるものがあって決めて、実際によかったという経験を積んでたので、スカウトされたモデル事務所以外も受けてみて、ここいいな、というところを選んで入った、ていう感じです。

(モデル業を)やりはじめたらおもしろくて、没頭してやってたんですけど、私の体質と勧められる体調管理やダイエットが合ってなかった。食べたものもマネージャーに全部報告して、どう変えていったらいいかとか…仕事はもらえて順調でやりがいはあって、アスリートみたいな世界で、どうやったらできるようになるかを追求するのはおもしろかったんですよね。ただ、気づかないうちにどんどん疲れというか、身体に不調が出始めて。そのころにちょうど(東日本の)震災の時期が重なるようなところもあって。


 ―そういう時期に震災と原発事故が起きたことは、さえ子さんの中で、とても大きなことでしたか。

モデルの仕事も、自分のなりたい大人像に近づくために役に立つと思ってやってて、肝が据わるというか、いい経験になったと思うんです。その反面、これってどこまで続けるんやろ?ていうのも出てきてはいて…。

《衣食住》の衣、服のこと布のことなどいろいろ学べて、表現することのおもしろさもあって、終着点は見えないけど、このまま続けて東京に進出しようと決めたんです。やりたいことをできるときにやっておこうという気持ちもあって。東京に行く準備も全部できて、いざ!ていう春に、震災が起きたんです。


 ―どう感じましたか。

私、命をかけてこの仕事したいんかな、と思ったんです。なんであろうと絶対にやるっていう意思がそこにはなくて、楽しさとか挑戦、やりがいはあったんですけど、でも命をかけてやっているのかと問われると、違うなと思って。

で、いったん止めようと思ったんです。「気づいてしまった」みたいなところもあって。それで、もしほんとにやりたいことなら、また熱が戻ってくるやろうと思って。震災で一気に芸能系の仕事がなくなって、自分もやめることにして、ほんとにそのとき、全部を手放すということをしました。


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2013年、キャンプ中に子どもたちと。



 ―そこからアメリカに行くんですね。

やりたいと思ってたことの中に海外に行くというのも入ってたので、ロスアンゼルスに住んでた友だちのところを拠点に、英語や(前からやっていた)ダンスを習ったり、自分でプログラムした留学みたいな感じでした。

で、行ってみると(自分の)興味は全部そこに集まっていたという…。食のこと、健康とか美容のこと、自然食のお店も多くてすごく進んでて、情報もいっぱいあったんです。


 ―2011年の震災と原発事故があって、モデルの仕事をやめて、いったん全部手放したからこそロスアンゼルスに行って、そこでいろんなことがつながったという感じですね。

私、あんまり執着というものがなくて、気持ちとか縁があれば、同じところではなくてもまた戻ってくるやろと思ってるんですね。その世界に必要がなかったら戻らないでしょう、そのどちらもあるやろうな、ぐらいに思って離れたんです。

で、ロスに行ってみたら「私、ほんまに好きなんはこういうことやな」と思ったんですよ。自分をきれいに見せるというのも、(モデルのときは)作ってるというか整えて、仕事やからきれいにしとく、そのためにトレーニングする。仕事に持ちもの持っていくくらいの感覚でいたんですよ。


 ―《きれい》が、ある意味仕事道具みたいな。

そうですね、仕事道具というか、相棒みたいな感じで。ふつうに生きてたらこんなことしないんちゃうかな、ということをして、髪も同じイメージ付けのために伸びたら切る、とかしてたのを、ああもうしなくていいんや、これからどうしていこうかなって思って。

私の場合、別に縛られてストレスがすごくあったわけではないんですけど、(ロスに行ってみて)自分のほんとに好きな、別の表現がある気がして。

ダンスも、筋肉がつきすぎるからと制限されてたのを、ロスでは思い切りできてすごく楽しかったんですね。料理のことも、自分の興味のあることをどんどん見ていったら、人をケアすることにつながる、食べることが治癒になる。

私、合理的なのが好きなのかもしれないですね。ただただ食べるんじゃなくて、その結果どうなるか、何がどうつながっていくかに当時すごく興味・関心があったんです。意味があってそれを食べる、ということ、食べること自体がうれしくなるような食事である、ということ、その二つが私の中でそろったな、ていう感じで、こういうことを仕事にできたらおもしろいな、と思ったんです。

人に伝えたり教えたりするのも好きやったんで、今やってるような仕事をやりたいと思い始めたのが、そのときでした。


 ―聞いていると、ほんとに一気にいろんなことが続けて起きて、すごい変化があったんですね。で、そこからたこ焼きキャンプにつながってくる…。

ロスで、(これからやりたい仕事を)決めた、これや、というのがあって、日本に帰ったのが7月やったんです。何か(思うような仕事)をすぐ始める、と思ったときに、その前に、ちょっと待てよと。

私、この震災ですっごい変わった。生き方を考えたのは、(震災時に)テレビで映像を見てザワザワした何ともいえない感覚になって、今日という暮らしが明日こうなる、ていうのは自分が直接被害にあってないからこそそう思える。ぼうっと生きてんな、こういう生き方でいいんかなと思って、そこから動き出した。(変化を経て)こういう仕事がほんとにやりたい、と思えたことのきっかけは、そこにある。

…私、何かでけへんかなと思ったんですよ、震災にかかわる何か。原発事故も大きかったです、私の中では。生まれた日がチェルノブイリの原発事故が起きた日なので、それもあって。でも、大変な状況の中で自分にできること、前向きにできることは何やろう、というとこから、ボランティア活動をしたいと思ったんです。

現地に行くのはむずかしかったので、いろいろ検索してたら、《保養キャンプ》というのが出てきて。「ああ、受けいれる側というのがあるのか」と思って、そのときはボランティア募集してる保養キャンプは千葉しか見つけられなかったんですよ。そこに行くつもりにしてたんですけど、そのあと(検索してたら)ポンってたこ焼きキャンプが出てきて。関西でもあるんや、明石やったら日帰りで行けるなと。

で、怪しくない者であることを伝えないといかんなと思って(笑)くわしく自分を説明するメールを送ったら、すぐに「オッケーです!」みたいなザックリした返信が来たので、逆に大丈夫かなと(笑)。こんなんやったら変な人も来てへんかなって心配になって。


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2013年。子どもたちに大人気のスタッフに



 ―心配されてた(笑)! 震災の年は、ものすごい数のボランティアの応募があって、こちらも保養キャンプというものを始めたばかりで全然スキルがなくて、とにかく応募が来たら「どうぞどうぞ」ていう感じでした。

私はそれまで審査され続けて生きてきてたんで、自分の情報、「こういう者です」ていうのを事細かに送らないといけないと思ってたんです。


 ―なるほど…。やっとさえ子さんとたこキャンが出会うところまで来ました(笑)!震災と原発事故は、やっぱりさえ子さんにとっては大きな転機になったんですね。

私にとっては人生のすごい大きいターニングポイントになりました。


【インタビュー後編は近日アップ予定です。お楽しみに!】


by takocamp | 2023-10-22 20:42 | Comments(0)