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明石であそぼう! たこ焼きキャンプ takocamp.exblog.jp

 「福島の子どもを招きたい! 明石プロジェクト」が主催する「たこ焼きキャンプ」のブログ


by takocamp

2023.4.24 たこキャンスタッフの大熊町訪問レポート

福島市→郡山市→いわき市と3か所の再会交流会を終えた、たこキャンスタッフ。
なつかしい親子とたくさん語り合ったあと、今回はまた別の大事な予定がありました。

福島第一原発の立地町である、大熊町。
津波と原発事故による被害を受けた大熊町でご家族3人を亡くされた木村紀夫さんは、現在「大熊未来塾」という団体を立ち上げて、さまざまな活動をおこなっておられます。
その木村さんを関西にお招きする企画をあたためていた「ほようかんさい(保養をすすめる関西ネットワーク)」有志が、今回いわき市湯本の温泉旅館・古滝屋さんに集まり、木村さんから直接お話を聴く機会をいただきました。


古滝屋さん9階にある、「原子力災害考証館 furusato」。
公の施設からはこぼれ落ちる情報や資料を収集・展示し、起きた事実をきちんと考証して未来へつなぐことを目的として、古滝屋館主の里見喜生さんによって2021年に作られました。

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考証館の中央に、木村紀夫さんの展示があります。

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津波によりご自宅が流され、木村さんのお父さんの王太朗さん、妻の深雪さん、そして7歳の次女の汐凪(ゆうな)ちゃんが行方不明となりました。
捜索に向かった木村さんは、翌日の福島第一原発の爆発による強制避難指示で、ご家族を探しに行くことができなくなりました。
その後王太朗さんと深雪さんは遺体で発見されましたが、汐凪ちゃんは見つからないままでした。
木村さんは長女を連れて避難した長野県から大熊町に通い続けて、汐凪ちゃんを探し続けました。
苦難の連続だった捜索活動の中で、少しずつ汐凪ちゃんのランドセルや服などが見つかり、震災から6年近くたってやっと骨の一部が見つかったのです。

木村さんの手によって、当時のがれきのイメージが再現され、汐凪ちゃんの写真とともに実際に見つかった遺品が展示されています。

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たこキャンスタッフの一人は残念ながら考証館を見たあと帰路につき、マスターこと小野と事務局の一海が、「ほようかんさい」有志のみなさんとともに木村紀夫さんとお会いしました。

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次の日に木村さんのご案内で大熊町を訪ねることになっていて、その打ち合わせもかねて、夕食をご一緒しました。
木村さんの気さくであたたかなお人柄に、メンバーもすぐに打ちとけていき、笑いもまじえながら楽しい時間を過ごさせていただきました。

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※木村紀夫さんが主宰する「大熊未来塾」のFacebookページです。


翌日、4月23日.。
朝早く、木村さんの車で古滝屋さんを出発。
大熊町に向かいました。

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大熊町は福島第一原発の立地町であり、沿岸部は津波被害を受け、それ以外の地域も地震と直後の原発事故による避難のために住民は散り散りとなり、ほとんどの人は帰ることはできなくなりました。
津波を受けなかった場所も建物の解体が進み、ぽつんぽつんと残る家屋以外、荒れ地が広がっています。
ふるさとの町が、丸ごと失われてしまうということの過酷さを、なまなましく肌に感じました。

大熊町の図書館。
豊富な蔵書を誇る立派な図書館だったそうですが、解体が始まっています。
町の子どもたちにとっても、きっと親しい場所だったことでしょう。
町民から解体反対の署名活動が起きたものの、計画は覆らなかったそうです。

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ここは、復興拠点として除染され、建設が進められている地域。
きれいな復興住宅が立ち並んでいます。
帰還した町民はわずかで、原発や中間貯蔵施設関連で働く人が多く住んでいるそうです。
近くには、新しい町役場もできていました。

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帰還困難区域の中に入るには、大野スクリーニング場という関所のようなところで登録許可を得なければなりません。
ひとりずつ放射線の累積被曝量の測定器が配られ、それを首から下げ、帰りに回収されます。
希望者には防護服の上下、靴カバーや手袋などのセットが配られ、それを身に着けます。
わたしたちの多くも初めての防護服を着て、帰還困難区域に入りました。

帰還困難区域で最初に木村さんが案内してくださったのは、娘さんたちが通っていた熊町小学校でした。

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従来は、小学校の敷地に入り、地震で子どもたちが逃れたあとそのままの状態になっている教室の様子などを間近に見ることができたそうです。
ところが、昨年この熊町小学校の校舎に泥棒が入り、残されていたランドセルなど子どもの持ちものの多くが盗まれてしまったそうで、それ以来、敷地内は立ち入り禁止になってしまったとのこと。わたしたちも、入ることができませんでした。
帰還困難区域にわざわざ盗みに入るとは…と木村さんは苦笑しておられましたが、子どもたちへの冒涜とも思えるような理解に苦しむ事件に、驚きと怒りを感じました。

校門前で、汐凪ちゃんがこの場所で地震にあい、その後どんな経緯をたどって津波被害にあってしまったのかを話してくださる木村さん。
地震当時、汐凪ちゃんは学校そばの児童館から祖父の王太朗さんの車に乗り、海の近くの自宅に向かったそうです。
もし、福島に住む自分たちにもっと防災の意識があったらと、木村さんは悔やむ思いを語られました。
だからこそ、みなさんには日ごろから家族で災害に対する備えを話し合っておいてほしいと、力をこめて話しておられました。

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汐凪ちゃんが地震当時にいた、熊町小学校のそばの児童館です。
ここから、先生に引き渡されて祖父の車に乗ってしまった汐凪ちゃん。
木村さんは、岩手や宮城の学校では、状況を見て保護者に児童を「引き渡さない」という選択肢があると語ります。
今後の教訓として、学校など子どもを預かる場の大人たちが、命を守るためにどこが安全なのかを第一に判断できるようであってほしい、というのが木村さんの切なる願いなのだと感じました。
「津波で亡くなった2万人の遺族には、それぞれの後悔がある。その話に耳を傾けてほしい」
という言葉が胸に刺さりました。


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大熊区公民館。
地震と津波で壊れたままの状態で残されています。

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当時、近くのお年寄りを地震後ここに集めて避難させていたところ、海側の松林を超えて津波がここまで押し寄せてきました。
木村さんのお母さんは、この公民館に避難するよう駐在さんから勧められたものの、今いる場所の方が標高が高いから、と動かなかったとのこと。もしここに移動しようとしていたら、津波にさらわれていただろうといいます。
「日本は縦社会で、自分の考えで決めるより、目上の人の言うことを聞いてしまう。(石巻で多くの児童が亡くなった)大川小学校のことを考えても、上下関係なく、誰でもものが言える、子どもの意見もちゃんと聞ける状況が防災にも生きるんじゃないか」と木村さんは語っていました。

かつては、この公民館で地域の人たちが集まり、子どもたちも餅つきやたくさんの楽しい季節行事をおこなっていたそうです。
その様子も写真で説明してくださいました。
公民館そばの歴史ある諏訪神社も、これからなんとか再建していきたいと考えておられるそうです。

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大熊町の帰還困難区域の中に作られている、中間貯蔵施設。
中間貯蔵施設とは、福島県内の除染で発生した放射性物質を含む土壌と廃棄物を、最終処分するまでの間保管する施設のことです。
2014年から15年に大熊町と双葉町が受け入れを決め、8年前の春から廃棄物の搬入が始まりました。
津波と原発事故で破壊されたふるさとが、除染の廃棄物の貯蔵場所になる―こんな未来を、ここで平和に暮らしてきた住民の誰が想像したでしょう。

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搬入された廃棄物はここで分別され、焼却できるものは燃やされて保管されます。
容量は減るものの、放射性物質を含む廃棄物はコンテナに入れて保管するしかないのだそうです。

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土壌も分別され、この青いベルトコンベアで埋め立て地に運ばれていきます。

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ベルトコンベアの先の、埋め立て地です。
遠くに見えるグレーの平面が、放射性物質を含む土壌が埋められて、覆われた部分。
埋め立てはほぼ終わりつつあるそうで、これから30年以上、ここに保管されることになります。
しかし、国が約束した32年後の2045年に、これらをすべて掘り返し、県外の最終処分場に持っていくことなどできるのだろうか、そもそも最終処分場のめどはまったく立っていない―「もし手をあげる自治体が出れば、そこでまた住民の分断が起きる。それでいいのかと…」と木村さん。

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小高い場所に移動すると、福島第一原子力発電所の敷地に、汚染水(Alps処理水)のタンクが並んでいるのが見えました。
今年春から夏ごろ、と国が開始を示している海洋放出は、もう目前に迫っています。
これほど身近に見ると、そのことも一層なまなましく感じられました。
この場所と原発敷地の間には古くからの墓地もあるそうで、この先そこにいるご先祖様はどうなるのか…と木村さんは話しておられました。

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海のすぐそばのこの場所は、栽培漁場センター。
ヒラメやウニ、アユの養殖がおこなわれ、原発の温水もエネルギーとして利用されていたそうです。
ここでも、働いていた職員の方が亡くなられているとのこと。

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津波で激しく破壊されたままの姿で12年後もこうして残っているのは、帰還困難区域内であるからこそで、今では貴重な証言者ともいえます。

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そばの施設も、津波の爪あとがなまなましく、その力のすさまじさを思い知らされます。
これらを震災の遺構として残していこうという話は出ているそうで、防災の観点からもぜひとも大切に残し、多くの人に見てもらいたいと感じました。

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海辺まで行くと、震災当時の堤防が津波で破壊されたままになっていました。

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この海辺で木村さんは、9世紀に実はこのあたりで大きな地震と津波被害があったこと、その歴史的事実をちゃんと知っていたら、《大地震のあとに津波が来る》という認識をもって家族にも伝えられたのに、「それが一番の後悔です」と語られました。

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海辺から、木村さんのご自宅へ。
「ここが、うちです」
そのひとことに、この場所に生きた家族の暮らしを思いました。

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地震当時、富岡町の職場にいた木村さん。
津波後にたどりついたときには、まったく何もなくなっていた、といいます。
木村さんが立っている玄関の床タイルだけが、ご自宅のあとをとどめているそうです。

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自宅は流されても、すぐ裏は高台であり、まさか家族が津波にあったとは思わなかったという木村さん。
しかし父と妻、そして次女の汐凪ちゃんが行方不明であることがわかり、夜じゅう付近を捜し歩きました。
翌朝、原発が爆発。避難命令が出ます。
木村さんは助かった長女と母を安全なところへ連れていかなければという一心で、西日本へ。
その後、木村さんは現地へ戻りますが、放射線量の高い自宅付近には入れず、手作りのチラシなどで必死に3人の行方を捜しました。
妻の深雪さん、父の王太朗さんは、翌月に遺体で見つかりました。
汐凪ちゃんは、まったく行方がわからないままでした。
木村さんは自宅近くに時間制限付きで入れるようになると、長女と定住した長野県から、大熊町に通い続けました。
その後ボランティアの手も借りながら、捜索を続けます。

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大熊町に中間貯蔵施設ができることを知り、環境省の担当者と話しにいった木村さん。
娘の捜索を続けている場所を売ったり貸したりはできない、と伝えると、帰ってきた言葉は「ここに行方不明者がいると初めて知りました」でした。

ボランティアと続けた捜索活動の中で、汐凪ちゃんの服などが少しずつ見つかっていきました。
2016年、苦渋の決断で木村さんは環境省に捜索を依頼。人手だけでなく、重機を使う方法に切り替えなければ捜索の前進はむずかしいとの判断だったそうです。

ご自宅のすぐ裏手の高台に、木村さんが建てたお地蔵さんと、3人への思いを刻んだ碑がありました。
そばには、昨年亡くなった愛犬のお墓も寄り添っていました。
なんともいえない思いを胸に、手を合わせさせていただきました。

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ご自宅のすぐそばの海。
防潮堤の建設工事がおこなわれていました。

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もともとの防潮堤は6メートルだったそうです。
津波は、10メートルを超えていたといわれています。
しかし今、建設中の防潮堤は7メートルとのこと。
不可思議な思いがわいてきます。

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しかし、環境省など行政の方とも、対話を大切にしておられる木村さん。
言わなければ気づかないこともあると、ねばり強く意見を伝え続けておられるそうです。

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最後に案内していただいたのは、汐凪ちゃんの遺骨が見つかった場所。
そこへ向かう途中、ふと空を見上げると、まるで虹のような美しい彩りの雲が浮かんでいました。

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草むらの中に、津波当時のまま残るトラック。
木村さんのお父さんのものだそうです。

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2016年、環境省主導の大がかりな捜索が始まり、汐凪ちゃんのランドセルが見つかりました。
そしてその年の11月、汐凪ちゃんのマフラーが見つかり、その中からちいさな首の骨が出てきました。
初めての遺骨の発見でした。

けれどもそのとき、木村さんにとって新たな苦しみが始まったそうです。
海に流されてしまったのではなく、この自宅近くで遺骨が見つかったということ。
原発事故による強制避難のために、もしかしたらまだ命があったお父さんや汐凪ちゃんを、助けられなかったのではないか、と。
その後、東京電力本社へ行き原発への疑問を述べたとき、「電気を作ることは命を守ることだ」と社長から放たれた言葉に衝撃を受けた木村さん。
今は、いつか原発が必要なくなる未来を願い、ソーラーパネルを備えて電気を最低限しか使わない生活を実践されているそうです。

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昨年2022年には、沖縄で長く遺骨収集に携わってきた具志堅隆松さんによって、汐凪ちゃんの大腿骨がこの場所で見つかりました。
その向こうには、津波の中で生き残った一本の松が立ち、震災後にやってくるようになったという猛禽類のミサゴが、悠々と飛んでいる姿が見えました。

汐凪ちゃんのの遺骨は一部しか見つかっておらず、木村さんは、きっとこの場所にまだ埋まっているだろうと言います。
そして、汐凪ちゃんの遺骨が見つかったことによって気づいたこととして、
「汐凪は、たまたまこうして探せる場所だったから見つけられた。震災の行方不明者は今も約2500人で、実数はもっといるはず。各地で建設される防潮堤などの下にはきっと遺骨が残っている。でもその家族は復興のもとに、探したくても探せずにいる。そうした現実も知ってもらいたい」
と話されました。

4時間にわたる大熊町訪問は、胸に深く刻まれるものでした。
中間貯蔵施設の敷地内にある木村さんのご自宅や、汐凪ちゃんの遺骨発見場所。
春の陽射しの中、ウグイスの声が響き、たくさんの可愛い花が咲き乱れていました。

あたりまえの暮らしが、人生が、前触れもなく壊されてしまう残酷さと理不尽さ。
この町の姿を、繰り返し多くの人に見せ、語り続けるのは容易なことではないと思います。
原発が深く暮らしに溶け込んでいた町。
幾重にも引き裂かれる思いを、多くの人が抱えておられるのではないかとも想像します。

怒りや悲しみを胸に、それでもあらたな発見や出会いを大切に自分のものにしていく強さとあたたかさを、木村さんから感じました。
「大熊未来塾」の活動を応援するとともに、いずれ関西で木村さんのお話をたくさんの人に聴いていただけたらと思っています。

古滝屋館主・里見喜生さんにも、今回大変お世話になりました。ありがとうございました。
古滝屋さんの前で、今回参加した「ほようかんさい」メンバーとともに。
木村紀夫さん、長時間ご案内いただき、たくさんのことを伝えてくださり、ほんとうにありがとうございました。


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                            (文責・たこ焼きキャンプ事務局 一海真紀)

by takocamp | 2023-04-29 09:00 | 保養のひろがり | Comments(0)