いわきスタディツアー、行ってきました
私たちスタッフは何度も福島に通っていますが、たこキャンのボランティアさん、支援者の方からも、福島へ行ってみたい、現地の様子を見たいという声が以前からありました。
たこキャンに深くかかわってくださっている方たちを福島にご案内して、キャンプ参加の子や親御さんとも現地で交流できたら…
そんな思いから立ち上げた企画でした。
10月14日。
3人のボランティアさんの参加を得て、スタッフ3人と計6人の一行が関西を出発。東京で乗り換えて福島県いわき市の湯本温泉に到着、半日がかりの旅でした。
以前、明石で講演していただいた里見喜生さんが出迎えてくださり、さっそく里見さんの経営する「古滝屋」さんへ。元禄時代創業の、老舗温泉旅館です。
ありがとうございます。
さっそく、里見さんのご案内でスタディツアーに出発しました。
いわき市から、海沿いの道を北上し、広野町を過ぎ、楢葉町へ。
今となっては切ない思いで見上げざるを得ない、立派な立て看板がありました。
楢葉町の仮設店舗に立ち寄りました。
さらに北上し、福島第二原発に近づきます。
一部が現在も帰還困難区域となっている、富岡町へ。
これが、福島第二原発へ渡る橋です。
7年近くかけてようやく新しい駅舎が建ち、今月下旬の開通を待ちます。
できたてのお店も、すでに営業していました。
オープンを待っています。
私たちスタッフが2年前に訪れたときは、この富岡駅前は津波の被災のあとが生々しく残っていました。
駅はホームだけが残り、近くには一階部分がすべてえぐれた家屋に自動車が突っ込んだままになっていたり、へしゃげた建材があちこちに散っていたり…。
今ではそれらはすべて撤去され、更地になった上に新しい建物が建ち始めています。
ただし、これらの新しい家も、まだ住む人はわずかとのこと。
「ここはぜひ立ち寄ってください」という里見さんに連れられて訪れた、小さな公園。
そこには、津波で亡くなった2人の警官の乗っていたパトカーが置かれていました。
当日、非番であったにもかかわらず出動し、住民を避難させていて津波にのまれたそうです。
被災のすさまじさを語る車体の痛ましい姿に、言葉もなく手を合わせました。
富岡町のシンボル、夜ノ森(よのもり)桜並木。
原発事故以来、誰も見ることのなくなった満開の桜がテレビや新聞で毎年のように映し出されてきました。雨の降る中、車の中からでしたが、その見事な並木道の様子はよくわかりました。
今年から避難解除はされたとはいえ、かつてのように大勢の住民がここで憩う日々は遠いものとなってしまいました。
近くで、ガソリンスタンドが営業を始めていました。
ただし、従業員の方は遠くいわきから毎日通ってこられているとのこと。
このすぐ向こうの通りの奥は、柵で遮断された帰還困難区域なのです。
あたりまえの家族の暮らしがあった家々が、朽ちつつある姿となって立ち並んでいます。
さきほどの富岡駅の、北隣の駅です。
常磐線は数年内の全線復旧をめざし、線路とその周辺の除染を加速させているとのこと。
これらのフレコンバッグはどこにいくのでしょう。
およそ0.88マイクロシーベルト。
古滝屋さんに戻り、夕方からは懇親会。
たこキャン参加者のうち、いわき市に住む3家族が会いに来てくださいました!
数年ぶりの再会もあり、なつかしくうれしい時間。
感激の再会でした。
たこキャンがつなぐ縁!?
どちらもいい笑顔!
このあとはもちろん古滝屋さんのすばらしい温泉をたっぷり味わい、一同眠りにつきました。
翌日、10月15日。
ふたたび里見さんの案内で、いわき市小名浜(おなはま)を訪ねました。
小名浜港はいわきの食を支える豊かな漁港として栄えてきましたが、津波の被害を受け、原発事故の影響もあり、漁場は大きな打撃を受けました。その後、さまざまな施設の復旧や新築が進んでいます。
地元ならではの海の幸も売られていました。
「ら・ら・ミュウ」2階に設けられた常設展示、「3.11 いわきの東日本大震災展」。
今回もまた、たこキャンがお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。
ぜひまた関西へお越しください!
その後、三春町の自然食のお店、「えすぺり」で昼食をとりました。
居心地のよい店内で身体にやさしい、おいしいランチをいただき、無農薬野菜やパンなどをお土産に購入。
紹介してくださる方があり、葛尾村の村会議員、松本操さんのお話を聴きにうかがいました。
山深いと聞いていた葛尾村ですが、道路もきれいに整備され、なんとも風光明媚な美しい場所でした。
しかし、ちょうど稲刈りのシーズンで豊かに実った稲穂が干されているすぐそばで、緑のシートに覆われたフレコンバッグの広大な群れが広がっており、その光景にはやはり衝撃を受けました。
(注・あとで松本さんにうかがったところ、遮断性の高い置き方をしているため、付近の田畑への影響は数値上ほぼないとおっしゃっていました)
ぞろぞろとうかがった面々を、温かく出迎えてくださいました。
家屋はあの震災でもびくともしなかったそうですが、避難指示で三春町の仮設住宅に避難し、やがて家族はバラバラになってしまいました。避難解除を受けて、この家に戻ってきたのは家族で松本さんだけ。時折お子さんやお孫さんたちが訪ねてくるのを楽しみに、ここでひとり暮らしをしておられるそうです。
家の除染はすでに終わったものの、裏山の斜面は20~30mくらいまでしか除染してもらえず、もっと広範囲の除染を申請しても受けつけてもらえないとのこと。
1600人いた村民中、戻ってきたのはごくわずか。やはり、子どもはひとりも戻っていません。
それでも来春には葛尾村の小学校・中学校が再開する予定で、体育館やプールも新築し、子どもたちを待つ態勢はできたものの、三春町など仮住まい先から通学予定の子どもは小中合わせて18人だそうです(元の在校生数は約280人)。松本さんのお孫さんたちも、すでに別の地域の学校になじみ、そちらで暮らしていく予定だとか。
今回の震災は「未曾有の災害ではない」と松本さんは言われていました。「千年前にはあったんだもの。日本は原発を作ってはダメなんだよ。プレートに囲まれて、いつまた大地震が来るかわかんないんだから」。
その言葉には、当事者としての確かな真実がこもっていました。
「それでもなあ。さびしいよ。誰もいねえんだもの。…もう帰んのかい?泊まってってもいいんだよ」
という言葉が深く響きました。地震、津波、原発事故…人生が大きく変えられ、それでも懸命に前を向いて生きていく姿を胸に刻みたいと思います。
そして、私たちのキャンプの活動を、
「これからの子どもたちに大切な体験をさせてくれて、最高のことをしてくれてるよ」
と言ってくださったこと、とてもうれしく感じました。
葛尾村には、関西からも支援者が移り住んで農業に取り組んでいるとのことで、ご自身も関西で講演されたりとご縁も感じさせられました。ぜひまたお目にかかり、もっといろいろなお話をうかがえたらと思いました。
松本操さん、温かくお迎えいただき、さまざまなお話を聴かせてくださりほんとうにありがとうございました。
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2日間にわたる、いわきスタディツアーの報告、いかがでしたか?
スタッフとしては、参加したボランティアさんのおひとりから帰り道に、
「保養キャンプをこれからもずっと続けていかなければならない理由がわかりました」
と言われたのが印象的でした。
今回、初めての企画でしたが、キャンプ参加の親御さんと話せたこともボランティアさんたちにも喜んでいただけたようでした。ほんのわずかでも関西と福島をつなぐきっかけになれば、と感じています。
お忙しい中ご参加いただいたボランティアさん、集まってくださったいわきのご家族、里見さんや松本さんはじめ、ご協力いただいた方々に心からお礼申し上げます。
※この事業は認定NPO法人 しみん基金•こうべの助成も受けて実施しました。